本「憂国忌の50年」
昨年11月の憂国忌の会場で買った本。

第2章「三島由紀夫に斬られた男」寺尾克美には驚いた。
三島たち4名が自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監室に入室して
からの一部始終が詳しく語られる。手で三島の刀を掴もうと
したAが、掌を裂傷したのは知っていたが寺尾は益田総監
に突き付けた森田必勝の短刀を奪おうとして組みあい、
三島から背中を三太刀斬られている。にも関わらず、自力
で部屋を出て廊下を走り、自転車に乗って診療所に駆け込
んだという。背中は止血できないので出血多量の重症だった
が、一番早く回復し2週間で退院したという猛者。
他の負傷者はBが額を二太刀斬られ手で庇ったら腕を二太刀。
Cも斬りつける刀を腕で受け、手首の外側を負傷、Dは木刀で
立ち向かったが鍔が無かったので右手の親指が真ん中から
切れてぶらさがった。Eは灰皿で防戦しながら下がったが尻餠
をつき、太腿部を突かれた。負傷者9人中6人が自衛隊中央
病院に入院。寺尾以外の5人は軽傷に思われがちだが、筋、骨
に及ぶ整形外科の手術を何度も受け、2か月~6か月の入院と
退院後も後遺症がひどく、日常生活復帰が困難であったらしい。
背中を斬られた感じは、寺尾曰く木刀で叩かれた感じ。
最後の一太刀は戸板で思いっきり叩かれた感じ。
いずれにしても三島に殺意はなく、剣先で威嚇した程度。
室内の隊員を追い払い、総監に命じて全隊員を中庭に集め、
5分ほど演説した後部屋に引き返して切腹の儀式を行った。
、益田総監はその一部始終を見ていたわけだが、後日曰く。
「俺は割腹自殺に立ち会ったのはこれで2回目だ。最初は
終戦の8月17日。友人の少佐に頼まれた」「三島さんは
武士道を全うしたが、俺の武士道はどうしてくれるのか」

第2章「三島由紀夫に斬られた男」寺尾克美には驚いた。
三島たち4名が自衛隊市ヶ谷駐屯地の総監室に入室して
からの一部始終が詳しく語られる。手で三島の刀を掴もうと
したAが、掌を裂傷したのは知っていたが寺尾は益田総監
に突き付けた森田必勝の短刀を奪おうとして組みあい、
三島から背中を三太刀斬られている。にも関わらず、自力
で部屋を出て廊下を走り、自転車に乗って診療所に駆け込
んだという。背中は止血できないので出血多量の重症だった
が、一番早く回復し2週間で退院したという猛者。
他の負傷者はBが額を二太刀斬られ手で庇ったら腕を二太刀。
Cも斬りつける刀を腕で受け、手首の外側を負傷、Dは木刀で
立ち向かったが鍔が無かったので右手の親指が真ん中から
切れてぶらさがった。Eは灰皿で防戦しながら下がったが尻餠
をつき、太腿部を突かれた。負傷者9人中6人が自衛隊中央
病院に入院。寺尾以外の5人は軽傷に思われがちだが、筋、骨
に及ぶ整形外科の手術を何度も受け、2か月~6か月の入院と
退院後も後遺症がひどく、日常生活復帰が困難であったらしい。
背中を斬られた感じは、寺尾曰く木刀で叩かれた感じ。
最後の一太刀は戸板で思いっきり叩かれた感じ。
いずれにしても三島に殺意はなく、剣先で威嚇した程度。
室内の隊員を追い払い、総監に命じて全隊員を中庭に集め、
5分ほど演説した後部屋に引き返して切腹の儀式を行った。
、益田総監はその一部始終を見ていたわけだが、後日曰く。
「俺は割腹自殺に立ち会ったのはこれで2回目だ。最初は
終戦の8月17日。友人の少佐に頼まれた」「三島さんは
武士道を全うしたが、俺の武士道はどうしてくれるのか」
2021-02-22(Mon)
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